音楽、時の芸術、そしてスポーツ

「音楽は時の芸術」
この言葉を聞いて皆さんはどう解釈しますか?

私は、音楽の演奏はその瞬間が全てで「いま」を過ぎるとパフォーマンスは過去のものになる、そういう意味で「時の芸術」であると解釈します。それは私が演奏する立場であることが大いに関係しているでしょう。作曲家の人たちにとっては作品は半永久的に残るものです。その時代によって変わっていく音楽のスタイルを「時の芸術」ということもできますね。いろいろな見方があると思いますが、前述の通り私は演奏者でもあるので「演奏、その一瞬一瞬が全てである」という見方からお話ししようと思います。

昨日、テレビでフィギュアスケートのグランプリ・ファイナルの様子を見ました。世界の選び抜かれた若いスケーターたちが素晴らしい演技を披露していて、見ている自分もドキドキしっぱなしでした。次は4回転ルッツ、4回転サルコー、華麗なステップ、、、。その一瞬に全てをかけて美しいジャンプとステップを見せてくれる姿に感動しました。「その瞬間ごとに最高のパフォーマンスをする」これは音楽を演奏している時も同じです。特にコンクールやオーケストラのオーディションの場面など、一瞬の出来栄えが結果を左右したりすることもありますので、その緊張感はまさにスポーツ選手と同じだと言っても過言ではないと私は思っています。コンクールやオーディションだけに限らず、演奏会、本番、舞台の上でのパフォーマンス、全てがその瞬間を積み重ねて完成させているものばかりです。

その昔、ある高明なスポーツ指導の先生が書かれた著書を何度も読み返していました。その内容は、選手のメンタルをどのようにしてしなやかに強くしていくかというものだったのですが、試合の直前、パフォーマンスに向かう時、呼吸の状態など、あらゆる場面が自分の経験してきた様子と重なるものばかりでした。詳しい内容はここでは触れませんが、より一層「演奏するという事は、その瞬間が全てなんだ」と思うようになりました。

私たちは、楽譜や音符を目の前にしてそれを音に変えて音楽として表現していきます。楽譜に書いてある事は演奏されなければただの音の羅列です。そして、演奏者である私たちがその音符に対してその瞬間の全てを注ぎ込まない限り、音符は音楽になる事はない、と私は思っています。音だけなのか、音楽なのか。それこそ、その瞬間に演奏者である私たち自身にできる最大の目的であり、曲への、作曲者へのリスペクトだとも思っています。

以前のお話でも取り上げたのですが、かつて私が学んでいた大学のファゴットの教授がおっしゃっていたことを思い出します。楽器を持った時の立ち姿についてお話ししてくださった時のことです。今でも、教授が両方のパターンを大袈裟に表現して私たちに教えてくださったのを鮮明に思い出します。

「ファゴットを持っているときは、これはどの楽器にも言えるんだけどね、どうやって立ちますか?それはね、ボクシングの時の構えに似てるんだよ。ボクシングは両足をきれいに平行に並べて突っ立ったかんじ?いやいや、そんなふうに立ってたら、力も入らないし、パンチだってただの猿のおもちゃが腕を振り回しているだけだよね?そんなのすぐに倒されちゃうよね。こうやって片方の足を気持ち前に持っていってわずかに前屈みになるでしょ、そして腕は今にも相手をしとめるような形で構えるでしょ?これが戦闘態勢。楽器もこれと一緒。いつでも発進できるように構えるの。」

このように、一瞬にかけたパフォーマンスという意味で、音楽の演奏とスポーツ競技のパフォーマンスは色々と共通点があり、学ぶことも多いのだな、と思ったのでした。「一瞬のパフォーマンス」「音と音楽」についてはまた次の機会にお話ししましょう。
今日はこの辺で。今夜もありがとうございました。Viel Spass und Freude am musizieren! 音楽に楽しみと喜びを★

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