【ドイツの暮らし】喧騒と静寂

以前にもお話ししたのですが、私がドイツに住んでいて一番良かったことの一つに教会での演奏を数多くできたと言うことがあります。現地の宗教観、文化、伝統に触れてバロック音楽を学べた事は私の音楽人生の中でかけがえのない財産になっています。

そしてその教会には昔も今も変わらない大切な特徴と役割があります。それは「中に入ると静寂に包まれている事」「祈りの場である事」「誰でも中に入れる事」です。外がいくら騒がしくても、真夏で暑くても、教会の中は変わる事なく静寂に包まれていてひんやりとした温度と空気に包まれています。訪れる人が騒がしくあることをやめ、足を止め、祈りの場に足を踏み入れます。お祈りをしない人でも、静かにその場の雰囲気を味わいながら教会を訪れることができます。外の喧騒から隔絶された、静かで穏やかな気持ちになれるそんな場所です。私はドイツ国内に限らず、ヨーロッパの色々な街を訪れた時には出来る限り現地の教会を訪れていました。どの街の教会に行っても、そしてどれだけ外が騒がしくても教会の中はシンとしていて穏やかな時が流れていました。

今日、久しぶりに京都を訪れました。今回行ったのは建仁寺と三十三間堂です。私は京都や奈良のお寺を訪れるのがとても好きです。西洋と日本の文化や伝統はしばしば比較されますし、キリスト教に基づく伝統、仏教に基づく慣しなど様々なシーンでその違いが何なのかと議論のテーマになったりします。けれど今日、建仁寺と三十三間堂を訪れて改めて感じたことがあります。

それは、ここ京都のお寺もヨーロッパの教会と同じように静寂と安らぎに包まれていることです。京都の街はあちらもこちらも年の瀬ということもあって多くの人で賑わっていました。建仁寺も三十三間堂も多くの人が訪れていましたが、一歩中に入るとお寺の空気に包み込まれます。皆、声を潜め足音を立てないように、ゆっくりとお寺の中を歩いて行き、素晴らしい枯山水のお庭を眺めたり美しい襖絵を鑑賞し、観音様を見比べて歩みを進め、拝んでいきます。祈るために、お礼を言うために、お願いをするために、みな足を運びます。そこは静寂に包まれていて人々は観音様や仏様を通じて自分自身を見つめているのかもしれません。

ヨーロッパにも日本にも姿形は違いますが、同じ静寂と祈りと感謝の場所があることを改めて感じ、今日その場を訪れることができて良かったと思ったのでした。

今日はこの辺で。ありがとうございました。(2019年12月30日)

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