中東、私の訪れたレバノン

今日はオーボエのテーマとは関係ないのですが、最近の中東情勢で度々報道されているレバノンについてお話ししようと思います。

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と言っても連日報道されているような政治的、司法的な話ではなく私自身が中東の国レバノンを訪れたのがこの時が最初であり、おそらく最後であろうと思ったので、私が滞在した2012年8月の約1週間でこの目で見たレバノンを書いてみようと思いました。

2012年8月、ドイツとレバノンの文化交流の一環で私たちのアンサンブル「アンタレス・トリオ」はレバノンを訪れ音楽フェスティバルに参加してきました。ホストファミリーはベイルート近郊に住んでいるドイツ人の医者であり病院経営もしている方のお屋敷に泊めて頂き、街と街の、そして演奏会場への移動などは全て文化交流財団の方(スイス人)とそのご主人の運転する車でした。かつてあった鉄道も廃線になり移動手段は車です。いつも運転してくれていた方はレバノン人で元空軍のパイロットだった方でした。今でも覚えているのが「レバノン全土の道を全部把握している、そして平面の地図表記ではなく、鳥が空から地上を眺める時のような見え方でレバノンの全ての地形と道路を記憶しているんだ」と話してくれた事がとても印象に残っています。

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私たちが訪れたときはちょうどラマダンの時期だったようで、街を車で通っていても路上には多くのレバノンの方々が座っていたりして、これはラマダンだから働かずにいるのか、それともただ単に外に出ているだけなのか、どちらか分からなかったのも覚えています。そして私たちが演奏会を終えて会場の外に出た22時ごろ、街の中のレストランは老若男女本当に沢山の人たちで賑わっていて、「あんなに小さい子どもが夜遅くまで起きていて皆んなとご飯を食べるんだな、凄い違いだ」とも思いました。レバノンは地中海に面していてとても綺麗な海や砂浜があるのですが、同時に車で内陸のほうに走るとすぐに山岳地帯になります。土地勘もなく道路はガタガタ道が多いので、実際移動していた距離が全くつかめず、広大な土地を移動していたという記憶があったのですが、先日改めて地図を見ますと東西の幅は30数キロ〜50数キロしかないのですね、驚きました。何時間も車に乗っていた記憶がありましたし、途中誰も住んでいない村などを見ると家の壁にあちこち銃弾の痕があったりして「内戦がたしかにここであったのだ」という思いや、「あちらに見えるのはシリアでタバコの葉を多く生産している」と彼方に見えるシリアの高原地帯を眺めたりして随分と遠くまで移動したのだな、と勝手に思っていたのでした。

レバノンには世界遺産に指定されている遺跡がいくつかあり、私たちもその一つ「バールベック」の遺跡を訪れました。ギリシャの神殿のような背の高い石の柱、どうやってこの石たちを動かしたんだというぐらいびくともしないタイヤのような形をした石たち、そして地元の市場の喧騒を肌に感じてきました。ヨーロッパの街はたくさん訪れていましたが、このレバノンという所は、本当に今までとまったく違う土地だ、気候も風景も食べ物も、人々も、遺跡も、言葉も何もかも。

この写真にもありますように所狭しと並べられたレバノン料理、中東料理、どれもとても新鮮で美味しく、そして何が前菜かメインかよくわからないままお腹がいっぱいになったのを覚えています。多くの人とテーブルを囲んでワイワイ喋りながら楽しく料理をいただく、そんな素敵な体験ができたのでした。

何もかも違って新鮮だったレバノン。その後中東情勢は再び不安定になり、シリアからの難民も多く入ってきたり、武装勢力の拡大に伴って数年前からシリアの国境に接する地域、バールベックも海外渡航情報ではレベル4の渡航禁止区域になっています。その地域のことを思うとふと思い出す光景があるのです。車で山岳地帯を通っていた時、道の脇を羊の群れを連れた少年が歩いていました。しばらくして別の羊の群れが丘陵地帯の斜面をザザザーっと駆け下りていったのです。しばし見入ってしまうほどの美しい光景でした。

今は旅行者は立ち入ることのできない場所、あの時の少年はどうしているのか、あの美しい夕日と丘陵地帯は今どう見えるのか、おそらく私はもう自分が生きている間には再びかの地を訪れることはないでしょう、そんな場所に思いを巡らさずにはいられないのでした。

今日はこの辺で。今夜もありがとうございました。(2020年1月10日)